私の旅の家での私の歌            詩篇119篇49~56節

2022年7月17日 飯能キリスト聖園教会     礼拝説教要約(若井和生師)

 詩篇119篇の六段落目のテーマは「恵み」でした。本日の七段落目においては「慰め」について教えられていることがわかります。恵みを深く感じる時とは、どのような時でしょうか。それは苦しみの中で慰めを経験する時です。

【1】 苦しみ
 詩篇の著者は50節で語っています。「これこそ悩みのときの私の慰め」。彼が悩んでいること、悩みの中でみことばによって慰めを得ていることがわかります。
 彼は何に悩んでいたのでしょうか。51節を読むと彼は高ぶる者から、ひどく嘲られていたことがわかります。さらに53節では「悪しき者、あなたのみおしえを捨てる者のゆえに激しい怒りが私をとらえます」と告白しています。この詩篇の著者の感情が、こんなにもストレートに表されたことは、今までなかったように思います。みことばに拠り頼みながらも、彼はいつも冷静だったわけではありません。激しい怒りに心が捕えられてしまうこともあったのです。
 このように彼は高ぶる者、悪しき者から加えられる嘲りやそしりに苦しんでいました。しかし彼のもっと深いところに、さらに深い苦しみがあったと思います。それは、みことばの通りに生きることのできない自分、すぐに自分の思いに捕らわれてしまう自分、そして神の恵みをすぐに忘れてしまう自分自身に対する悩みです。
 彼は49節で「どうか、あなたのしもべへのみことばを心に留めてください」と神様にお願いしています。神のみことばをすぐに見失ってしまう自分を彼は強く意識していました。みことばがいつも自分のうちに留まり、神の最善を待ち望む者となるために、神の助けが必要であることを彼は自覚していました。悩み・苦しみの経験を経て、彼がみことばに拠り頼むように導かれていたことがわかります。
 神様も私たちをそのように導いてくださる方です。様々な試練・悩み・苦しみを通して私たちも、みことばに拠り頼む者へと変えられていくのです。

【2】 慰め
 詩篇の著者は悩みの中で、みことばによって慰めを得ました。それはどんな慰めだったでしょう。第一にそれは自分の悲しみを理解してくださる神がともにいてくださる慰めです。
 「慰め」と訳されている「ナハーム」ということばは、普通、「悲しみ」「苦しみ」を表すことばです。つまり、慰めとは、自分の悲しみや苦しみを知っておられる神様から来るということです。
 「私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです(第二コリント1の5)」。私たちの悩み・苦しみの時にキリストによって私たちの慰めがあふれます。なぜなら、キリストの苦難があふれているからです。私たちのために苦しみの道を歩んでくださったイエス様が、私たちの苦しみを理解し、受けとめ、ともにいてくださいます。そこに慰めがあふれるのです。
 さらに彼の経験している慰めは、彼が神のとこしえからのさばきを心に留めたことの結果でした(52)。彼はみことばを通して、神様がさばき主であることを知らされました。どんなにこの世が矛盾に満ち、理不尽な体験を強いられていたとしても、必ず神様が公正なさばきをなされることを教えられ、彼は慰めを得たのです。
 主は私たちをみことばを通して慰めてくださいます。あわれみ深い主イエス・キリストの豊かな臨在をもって、そして、みことばに基づく確かな希望によって、私たちを慰めてくださるのです。

【3】 これこそ
 この段落で印象的なことばは「これこそ」ということばです。「これこそ悩みのときの私の慰め(50)」。「これこそ私のもの(56)」。アダムは最初にエバと出会った時に「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉(創世記2の23)」と声を上げました。同じような感動と喜びを、詩篇の著者もここで味わっていることがわかります。
 さらに、みことばは彼にとって「私の旅の家での私の歌(54)」となりました。この世では旅人である彼にとって、この世に頼れるものは何一つありませんでした。みことばだけが頼りでした。しかし、それだけみことばに導かれる人生の喜びを知っていました。彼はまさに「歌う旅人」とされていったのです。

【4】 むすび
 私たちは日々の歩みの中で、「これこそ!」と言っているでしょうか。みことばが「これこそ!」と言えるだけの感動と喜びになっているでしょうか。それだけ私たちの歩みはみことばによって支えられ、生かされているでしょうか。苦難の時に、みことばが私たちにとっての慰めとなっているでしょうか。
 私たちは人生のあらゆる境遇を通して、みことばに拠り頼む者とされていきます。どんな状況の中にも主がともにおられることを覚えましょう。特に、私たちの苦しみと悩みの時、みことばに慰めが満ちていることを覚えましょう。そのようにして私たちも「歌う旅人」にしていただきたいと思います。