イエスにふさわしい者         マタイの福音書10章32~39節

2022年4月3日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 今日の聖書の箇所は「ですから」という接続詞から始まっています。今日の内容が、前の内容の続きであることがわかります。前の箇所でイエス様は、神様が私たち一人ひとりを愛しておられる、と教えられました。一羽では値段がつかないような価値のない雀さえも、神様の御守りの中にあります。雀よりも価値がある私たちのことを、神様は必ず守り導いてくださるのです。

【1】 人々の前でイエス様を認める
 神様は私たちを愛しておられます。それでは私たちはどうでしょう。もし私たちが人々の前で、イエス様が私たちの主であることを認めるなら、イエス様も私たちのことを認めてくださいます。神様の愛に対する応答として、それは当然のことです。
 ところが私たちには人々の前でイエス様を主として認めずに、知らないふりをしてしまうことがあります。その時には私たちも、イエス様から天の父の前で、「知らない」と言われてしまいます。そのような危険がここで意識されていることがわかります。
 なぜ私たちはイエス様を隠してしまうようなことをしてしまうのでしょうか。それは人を恐れるから、人々の反応と人々からどう見られてしまうか、ということを過度に気にしてしまうからです。
 そんな私たちに求められていることは、私たちが「天におられる父の前」で生かされているのを自覚することです。私たちが恐れなければならないのは人間ではなく、私たちをゲヘナで滅ぼすことのできる権威をもっている方です(28)。たった一度だけの人生です。その人生の中で、私たちは人の目を恐れて萎縮しながら生きていくのでしょうか。それとも私たちを造り、私たちを愛してくださった方の前でみこころに従って生きていくのでしょうか。その選択が私たちには、いつも求められているのです。

【2】 剣をもたらすために来た
 人々の反応の中でとりわけ私たちが意識するのは、やはり家族の反応です。その点に関してイエス様はおっしゃられました。「わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」 それゆえに家族の中に不和や分裂が起こることをお語らいになったのです(34~36)。
 イエス様は「平和の君」として、この地上に平和をもたらすために来られたのではなかったでしょうか。もちろん、そうです。人間の醜い争いの原因である憎しみや敵意や罪の問題を解決できるのは、イエス様しかおられません。イエス様がお生まれになる時に、御使いたちは「天に栄光があるように、地の上で、平和がみこころにかなった人々にあるように(ルカ2の14)」と語られました。イエス様を救い主として信じ受け入れる者には、主にある平和が与えられます。
 しかし、その結果、信じる者とそうでない者の間には不和や分裂が生じます。特にイエス様の光は罪人たちの闇を明らかにします。罪人としての人間の姿をはっきりと示します。それゆえに信仰者たちもキリストの名のゆえにすべての人に憎まれます。そのような分裂が家族の中にも、もたらされるのです。
 
【3】 イエスにふさわしい者
 そんな現実の中で、イエス様は弟子たちに「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません(37)」と語られました。父や母を尊敬することも大切です。しかし、それ以上にイエス様に従っていくこと、優先順序をはっきりさせることが、私たちには求められています。
 またイエス様は「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません(38)」とお語りになりました。弟子たちはイエス様に従って行く時に、必ず苦しみにあいます。イエス様がたどったような苦難の道を、私たちも通らされます。しかし、そこで信仰を捨ててしまう者は、イエス様にふさわし者ではありません。
 どんな苦しみの中でもイエス様に対する忠誠をはっきりさせることが必要です。自分のいのちを得る者は結果的にそれを失い、イエス様のために自分のいのちを失う者は、結果的にそれを得るからです(39)。キリストのために自らを捨てる者には、いのちが約束されているのです。

【4】 むすび
 私たちの人生にとって一番大事なことは、私たちを愛してくださった神の愛に応えて生きることです。神様は、私たちが一人として滅びることを望ますに、ご自身のひとり子イエス・キリストをこの世にお与えになりました。そのイエス様が、本来私たちが受けなければならない神のさばきを、身代わりとなって受けてくださいました。信じる者に永遠のいのちを与えるためです(ヨハネ3の16)。
 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6の33)」 いのちある限り、どのような境遇の中にあっても私たちは、私たちをいのちを捨てて愛して下さった方の愛に応えて、生きていきたいと思います。その時に、神様は私たちにいのちを与えてくださいます。神の愛に応える者として生きていきましょう