あなたの王があなたのところに来る      マタイの福音書21章1~11節

2022年4月10日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 今日からイエス様の十字架上の苦しみを特別に覚える受難週が始まります。そして、今日は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」。イエス様がエルサレムに入城されたことを記念する日曜日です。イエス様はどのようにエルサレムに入城されたでしょうか。一言で申しますと、王としてエルサレムに入城されました。

【1】 王の入城
 イエス様と弟子たちがエルサレム近くのベテパゲに来た時、イエス様は二人の弟子を近くの村に遣わされました。エルサレムに入城するためのろばを入手するためです。弟子たちが村に駆け付けてみるとイエス様の指示通りに、ろばを手に入れることができました。イエス様はそのろばに乗り、エルサレムに入城されたのです。
 それは預言者ゼカリヤが預言した預言が成就するためでした。

「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。見よ、あなたの王があなたのところに来る。義なる者で勝利を得、柔和な者で、ろばに乗って。」(ゼカリヤ書9の9)

 ゼカリヤとは第二神殿期(バビロンからエルサレムに帰還した人々によって神殿が再建された)の紀元前6世紀頃に活躍した預言者で、やがて来る救い主メシアの到来について、多くの預言をした預言者として知られています。そのゼカリヤがエルサレムに向かって「大いに喜べ! 喜び叫べ!」と呼びかけました。なぜなら「あなたの王があなたのところに来る」からです。
 この王は、当時の権力や軍事力の象徴だった馬ではなく、ろばに乗って入城されます。これはこの王が柔和で、へりくだった王であることを表しています。
 さらにこの王は地上に平和をもたらす王です。「わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る(ゼカリヤ9の10)」と預言されているからです。この王が来ると戦争は終わります。そして平和がもたらされ、この方の支配は世界中に及びます。今のウクライナに、そして今の世界に、この王の到来がどれだけ渇望されていることでしょうか。
 しかし私たちは忘れないようにしたいと思います。この方はもうすでにこの地上に来られました。この方の支配と、この方の支配される御国はすでにこの地上に始まっています。それは権力と軍事力による支配ではありません。義をもってこの地に平和をもたらす王です。戦争の原因である人間の欲望と憎しみと怒りの原因である罪をとり除き、私たちの心の中から平和を造り出すのです。
 私たちの心には平和があるでしょうか。私たちも賛美しつつ、この方をしっかりと受け入れる者でありたいと思います。

【2】 人々の期待と失望
 イエス様が子ろばに乗って入城された時、エルサレムの群衆はイエス様を熱狂的に迎い入れました。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に」と賛美しながら、イエス様を歓迎しました。イエスがまさに王としてエルサレムに入城されたからです。
 ただし群衆たちのそんな姿を見て、不満や怒りを覚える人たちがいました。イエス様を王として、また救い主として認めたくない人々です。その人たちの心の中には「イエス様とは何者なのか」という問いかけが当然あったことでしょう。そして、この日より一週間、「この人はだれなのか」という問いかけはエルサレム中の人々の問いかけとなりました。
 王としてエルサレムに入城したはずのイエス様が、同じ週の金曜日には捕らえられ、不当な裁判にかけられます。そしてそのまま有罪とされ、十字架刑にて処刑されてしまいました。日曜日にはイエス様を賛美しつつ歓迎した群衆たちも、結果的にはイエス様から離れていき、金曜日には群衆たちがイエス様に向かって「十字架につけろ!」と絶叫するようになります。イエス様の姿があまりにも見すぼらしく、とても王のようには見えなかったからです。
 しかし、敗北のように見えるイエス様の姿が、実は勝利でした。イエス様が十字架にかけられることによって救いのみわざが完成したからです。人間の思惑とはかけ離れたところに、本当の救いがあったことがわかります。
 
【3】 むすび
 星野富弘さんの詩にこのような詩があります。「いのちより一番大事だと思っていた日 生きるのが苦しかった いのちより大事なものがあると知った日 生きているのが嬉しかった」 富弘さんが身体の自由を失って初めて見えてきたことがあります。それは偉大な神様が、富弘さんとともにおられることです。
 何事も自分の願い通りにいくことを望む私たちです。そうでないと不満が募り、自分を不幸と考えてしまいやすい私たちです。しかし、私たちの神様は私たちの期待をはるかに超えた方です。私たちの願った通りに行かなくても、私たちにとっての最善をなされる方です。
この方は柔和で義によって平和をもたらす私たちの王です。この方に来ていただいて、私たちの心もからだもすべてを支配していただきましょう。