収穫は多いが、働き手が少ない        マタイの福音書9章37~38節

2022年2月6日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 今、日本では牧師不在の教会が増えており、多くの働き人が求められています。私たちは主の働き人が与えられるように、祈らなければなりません。 

【1】 収穫は多い
 イエス様が語られた「収穫は多い」とのことばに、まず注目したいと思います。聖書で「収穫」「刈り入れ」「刈り取り」といったことばのほとんどは、「終わりの日」を表しています。聖書はこの世が永遠ではないこと、「終わりの日」と呼ばれる日が必ず来ることを繰り返し預言しています。
 たとえばイエス様はマタイ13章の中で、麦と毒麦の収穫の譬え話をされました。麦も毒麦も収穫の際に刈り取られますが、毒麦は火で燃やされ、良い麦は倉に納められます。これはやがて来る終わりの日に、神に背く人々がさばきを受け、神を信じる御国の民は新しい御国へと移されることを表しています。そのような「終わりの日」が「収穫」ということばで表されているのです。
 ここでイエス様は「収穫は多い」と語られました。その意味は、「救われる準備のできている人が多い」という意味です。そのようにイエス様の目には見えていた、ということです。
 私たちにはもしかすると、そのようには見えていないかもしれません。「日本は伝道の難しい国だ」とよく言われます。確かに、なかなか救われる人が起こされません。伝道してもあまり成果が上がらず、祈っても無理ではないかと最初からあきらめている場合も多いのではないかと思います。私たちの目にこの国は、収穫の乏しい「不毛の地」に見えているのではないでしょうか。
 しかしイエス様はそう見ません。イエス様は「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています(ヨハネ4の35)」と言われました。私たちも信仰の目をもって目を上げる必要があるのではないでしょうか。「畑は色づいている」こと、 「収穫は多い」ことを、私たちも信じたいと思います。

【2】 働き人が少ない
 問題が一つありました。収穫は多いのに、働き手が少ないのです。収穫は多いのに、働き手が少ない! このギャップの大きさにイエス様の悲しみが滲んでおられるようです。神はすべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます(Ⅰテモテ2の4)。イエス様はすべての町や村を巡って、福音を伝えられました。すべての人に福音を届けたいからです。そして、群集を見て深くあわれまれました。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果て倒れていたからです。
 それなのに働き手が足りません。福音を伝える人も、弱り果て倒れている羊たちをケアする人も、まだまだ足りません。その現状を嘆き落胆しているイエス様の気持ちが、ここに表されています。私たちはこのイエス様の落胆をどれだけ意識しているでしょうか。

【3】 祈りなさい、働き手を送ってくださるように
 そこでイエス様は弟子たちに言われました。「だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」 
 このことばより神は「収穫の主」であり、収穫という労働の総責任者であることがわかります。さらに、その責任者であられる主がご自分の収穫のために働き手を送ってくださることがわかります。その主ご自身に求めなさい、ということです。まだまだ不十分な働き手を収穫の主が送ってくださるようにと、主に期待して祈りなさい、ということです。宣教の働きは「祈り」から始まることがわかります。収穫の主に期待して祈るところからみわざは始まるのです。
 これは牧師や伝道師や神学生たちが起こされるように祈りなさい、という意味の命令でしょうか。そうではありません。初代教会の時代、福音宣教の働きは信徒たちが担いました。散らされた人たちはみことばの福音を宣べ伝えながら、巡り歩いたのです(使徒の働き8の4)。ペテロやパウロだけが伝道したのではありません。名の知れない信徒たちが方々でみことばを伝えたからこそ、福音は「エルサレムからユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果て(使徒1の8)」にまで広められました。主は私たち一人ひとりに期待されているのです。
 つまり「働き手を送ってくださるように祈りなさい」とのこの命令は、「私をも、この働きのために用いてください」との祈りにつながっていくのです。

【4】 むすび
 マタイの福音書24章でイエス様は「世の終わりのしるし」について預言されました。戦争や戦争のうわさを聞くこと、あちこちで飢饉と地震が起こること、偽預言者が現れて人々を惑わすこと、不法がはびこり多くの人の愛が冷えて行くこと…。今、私たちが生かされている時代は終わりの日の様相を呈していることがわかります。神のさばきの日が迫っています。
 同時にそれは御国の完成の時です。そしてこの時、御国の福音が全世界に宣べ伝えられます(マタイ24の13)。この時、たくさんの人々が救われるのです。今、畑は色づいているのではないでしょうか。収穫は多いのではないでしょうか。私たちは目を上げながら祈りましょう。働き手が起こされるように、私たち一人ひとりを働き手としてくださるように、収穫の主に祈ろうではありませんか。