インマヌエルの主             イザヤ書7章10~17節

2022年12月7日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 今年のクリスマスのテーマは「インマヌエルの主」です。「インマヌエル」とは「神は私たちとともにおられる」という意味です。
 やがて来られる救い主が「インマヌエル」であると預言されたのは、イザヤ書7章においてでした。当時のどのような状況の中、この約束は与えられたのでしょうか。

【1】 恐れてはならない
 当時はアハズが南ユダ王国の王だった時代でした。アハズはその時、アラムの王レツィンと北エルサレムの王ぺカからの攻撃を受けていたのです。とりわけアハズにとってショックだったことは、同胞の北イスラエルがアラムの王と手を組んだことでした。その知らせがもたらされた時、王の心も民の心も「林の木々が風に揺らぐように揺らいだ」と記されてあります(2)。そんな動揺していたアハズの下に、イザヤは遣わされました。
 イザヤはアハズに伝えました。「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。…心を弱らせてはならない(4)。」 これがその時のアハズにとって一番必要なメッセージでした。かれの心には落ち着きがなく、恐れに捕らわれ、心を弱らせていたからです。彼に求められていたことは、神の前に静まること、神がイスラエルの主であることを覚えることだったのです。

【2】 信じなければならない
 心を静めることのできないアハズに対して、イザヤは続けて神のメッセージを語ります。南ユダを攻撃しようとしているアラムと北イスラエルの連合軍は、アハズにとって確かに大きな脅威でした。しかし神は「それは起こらない。それはあり得ない」と約束されました(7)。その上で神はアハズに「あなたがたは、信じなければ堅く立つことはできない(9)」と語りました。神の約束を信じること、それが堅く立つために必要であると、語られたのです。
 私たちは神を信じています。神に祈ったり、礼拝したり、奉仕したりします。しかし、現実の歩みの中で大きな問題に直面した時に、神を信じ切れない時があります。神に頼るのではなく、みことばを信じるのでもなく、自分の思いのまま衝動的に動いてしまうことがあります。それゆえに堅く立つことができず、現実に振り回されてしまうことがあるのです。不安になった時、大きな問題に直面した時こそ、私たちはみことばに信頼し、神を信じる者でありたいと思います。

【3】 求めなさい
 これだけの励ましをもらっても、アハズは神を信じ切ることができなかったようです。そこで神はさらにイザヤを通してアハズに語りました。「あなたの神、主に、しるしを求めよ(11)。」 
 それに対してアハズは答えました。「私は求めません。主を試みません(12)。」 神のことばに対するアハズの明確な拒否です。それは神を著しく煩わせる態度でした(13)。神は繰り返しアハズを励ましているのに、アハズは神に対する不従順を貫いてしまったのです。
 
【4】 インマヌエルの約束
 しかしその時、神が与えた約束がインマヌエルの約束でした。「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ(14)。」 これは、神に対するアハズの信仰の結果としてではなく、アハズの不信仰と不従順の結果、それにも関わらず与えられた神の恵みの約束だったのです。
 神はこの後のことをすべてご存知でした。アハズも南ユダ王国もアッシリア帝国に支配されてしまうこと、最終的にはバビロン帝国に滅ぼされ、多くの人々は捕囚となって連行されてしまうこと、その他の人々も散り散りになってしまうことをすべてご存知でした。自らの不信仰と不従順の結果として、イスラエルは苦しまなければならなかったのです。
 しかし神は、それでもイスラエルを諦めていないことがわかります。尚も愛して彼らが神の元に戻ってくる道をちゃんと用意しておられたことがわかります。それが「インマヌエル」だったのです。インマヌエルとは神を全く知らない人に与えられた約束ではありませんでした。神を知っているのに神を信じ切れず、その結果、苦しんでしまう神の民に対して備えられた救 いの道だったのです。

【5】 むすび
 今日の箇所でイザヤは自分の息子を連れてアハズのところに向かっていることがわかります(3)。その息子の名前は「シェアル・ヤシュブ」。その意味は「残りの者が帰って来る」。この名前が象徴的です。神はみことばに聞き従わずに不信仰を貫いている神の民が、帰って来ることを望んでおられます。その道を用意しています。その道こそは「インマヌエルの主」、イエス様だったのです。
 かつて教会に集い、みことばを与えられていたのに、今、神の元から離れてしまっている人々がたくさんいます。イエス様はその人たちにとってもインマヌエルの主であることを覚えましょう。そして、彼らがインマヌエルの主を覚えて、神の元に帰って来るように、私たちは祈り続けたいと思います。