湧きあふれる賛美             詩篇119篇169~176節

2022年11月20日 飯能キリスト聖園教会    礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 主の御前
 詩篇119篇の最後の段落において、詩篇の著者は必死に祈っています。「救い出してください(170)」「助けてください(173)」「このしもべを捜してください(176)」と繰り返し祈りました。神の救いと助けとを切望し、神に見出されることを願っていることがわかります。前の段落の内容とは裏腹に、彼の心に不安があることが感じられます。
 まず彼は「主よ、私の叫びが御前に近づきますように(169)」「私の切なる願いが御前に届きますように(170)」と祈りました。御前にあって彼の叫びや彼の切なる願いが本当に神に届くのか、彼が不安に感じていることがわかります。
 彼は御前に生かされていました。クリスチャンの特徴は御前に生かされていることです。神との関係を優先し、神との交わりの中で生かされ、神に向かって生きています。ところが神は目に見えません。それゆえに私たちも詩篇の著者のように、私たちの願いや祈りが本当に神に届いているのか、不安になることがあるのです。
 しかし、そんな時に私たちを支えてくれるのがみことばです。詩篇の著者は彼の祈りが御前に届いているのかどうか不安な時にも、「あなたのみことばのとおりに悟りを与えてください(169)」「あなたのみことばのとおりに私を救い出してください(170)」と祈りました。
 私たちを出発点として神との関係を考える時に、私たちも不安になってしまうのではないでしょうか。しかし、神を出発点として私たちの神との関係を考える時、つまり、みことばに耳を傾け信頼する時に、私たちは確かに主との関係に生かされている事実を確信することができるのです。

【2】 あふれる賛美
 「私の唇に賛美が湧きあふれるようにしてください(171)」「私の舌があなたのみことばを歌うようにしてください(172)」「私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように(175)」。次に彼は彼の口に賛美があふれるように、繰り返し祈り求めました。この時の彼は充分に賛美できない状態だったことがわかります。
 しかし、かつて喜びに満たされて賛美していた時のことを思い出しながら、彼は賛美を求めました。そして彼はどうすれば賛美することができるのかも、よくわかっていました。それはみことばに耳を傾けることです。
 「あなたが私にあなたのおきてを教えてくださるからです(171)。」「あなたの仰せはことごとく正しいからです(172)。」「あなたのみおしえは私の喜びです。(174)」 彼は賛美がみことばから生まれてくることを知っていました。みことば、つまり神のかたりかけがあること、神との交わりに生かされていること、その事実が彼の口に賛美を与えることを知っていました。
 私たちの口にも、いつもいつも賛美があるわけではないでしょう。様々な試練の中にあって、賛美のことばが出て来ないこともあると思います。そんな時も私たちは賛美を求めて、みことばに信頼していきたいと思います。

【3】 主の仰せを忘れない
 詩篇119篇の最後のことばは私たちにとっては衝撃的ではないでしょうか。「私は滅びる羊のようにさまよっています。」 神を愛し、みことばに信頼し、喜びにあふれていたはずなのに、同時に彼は自分を「滅びる羊のようにさまよっている」と告白しました。彼には信仰はなかったのでしょうか。神の御手の中に守られている確信はなかったのでしょうか。
 もちろん彼は御前にあって平安です。与えられた主との親しい関係を喜んでいます。しかし、それで自分に関する問題がすべて解決されたわけではありません。自分の中にいまだ満たされない部分、いまだ迷っている部分、いまだ解決できていない課題が残っていることを知っていました。御前にあってふさわしくない罪の問題、ただ滅ぼされるしかないような自分の汚れをも彼は意識していました。それゆえに彼はもっと強い神との関係を求めたのです。
 パウロも「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか(ローマ7の24)」と告白しました。あのパウロが自分に関して、このような嘆きのことばを発していることに私たちは驚かされます。しかし、それがパウロの正直な告白でした。
 そのパウロの告白は「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します」という告白に続いていきます。みじめな自分だからこそ、神の恵みがわかります。罪深い自分だからこそ、神の愛が身にしみて感じられます。そのようにパウロは神に対する感謝と賛美に導かれていったのです。

【4】 むすび
 クリスチャンとは自分の中にある渇きや欠けや汚れをよく意識しつつ、最後まで神に信頼する人です。その私たちにとって大事なことは神の仰せを忘れないこと。私たちも御前で歩み続けましょう。神との関係を第一とし、私たちの口に賛美を与えてくださる主の恵みを味わっていきたいと思います。