みおしえを愛する者             詩篇119篇161~168節

2022年11月13日 飯能キリスト聖園教会    礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 喜びと愛と賛美
 長い詩篇119篇も終わりが近づき、クライマックスに入りました。今日のこの段落を読んで一つ気づかされることがあります。それは神にお願いする祈りが一つもない、ということです。その代わりに多いのが告白のことばです。「喜びます」「愛しています」「ほめたたえます」と、詩篇の著者が喜びをもって、神に向かって彼自身の愛を繰り返し告白しています。彼が大きな喜びに包まれていることがわかります。
 この段落は「君主たちは、ゆえもなく私を迫害します(161)」という一文から始まります。彼を迫害していた者たちの中に、君主たち、つまり権力者たちが含まれていたことがわかります。権力者たちから加えられる迫害は、どんなに厳しかったことでしょうか。しかし、その後に続く内容は、最初の一文とは印象が全くかみ合わないような内容です。迫害されるという厳しい状況の中にあっても、彼の内にある喜びと愛は耐えることがなかったということがわかります。
 これが信仰者の姿です。信仰者とは苦しみの極みにあっても喜びを知っている人です。喜んでいる人です。私たちは本当にこのような喜びをもっているでしょうか。

【2】 喜びと愛と賛美の理由
 どうして彼は迫害されるという苦しみの中で、このような大きな喜びをもっていられたのでしょうか。「君主たちは、ゆえもなく私を迫害します。しかし私の心は、あなたのみことばにおののいています。(161)」
 君主たちの迫害は本当に恐ろしかったと思います。しかし、彼の心は別のものに恐れおののいていました。神のみことばにおののいていました。つまり、彼は本当に恐れるべき方を知っていたということです。
 イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい(マタイ10の28)」と教えられました。この世の権力者のできることはせいぜい私たちのからだを殺すことくらいです。私たちのたましいまで殺すことはできません。しかし神は私たちのたましいとからだの両方を、ゲヘナで滅ぼすことができます。その真の支配者であり、権力者である神を恐れなさいと命じています。
 詩篇の著者も、この世の支配者をはるかに勝る真の支配者と、その方のことばを恐れたことがわかります。そしてその恐れは彼に心配や恐怖や不安ではなく、喜びをもたらしたことがわかります。
 「私は大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます(162)。」 彼にとってみことばとは、どんな富にもまさって価値のある大切なものでした。そのみことばによって神が彼を個人的に愛しており、彼とともにおられ、彼の味方をしてくれることを確信することができたからです。この神との親しい関係が、彼にとっての宝だったのです。
 その神に愛されている状態が、彼の口に神に対する愛の告白を生み出しました。「私はあなたのみおしえを愛しています。」 愛は人の心に愛を生み出します。彼が「みおしえを愛しています」との告白に導かれたのは、みことばを通して彼が神に愛されていることを知ったからです。
 さらにそこから賛美が生まれてきました。「あなたの義のさばきのゆえに、私は日に七度、あなたをほめたたえます(164)。」 彼が一日のうちにくり返し賛美したくなった理由は、神の義のさばきのゆえ、つまり神が彼の味方であり、彼のために正しいさばきを行ってくれるからでした。
 さらにみおしえを愛する者には豊かな平安があり、つまずきがありませんでした(165)。彼がこの時味わっていた祝福は、彼が恐れるべき方を知り、その方との関係を優先した結果だったのです。

【3】 双方向の愛の関係
 この愛の関係を決して奪われないために、彼は偽りを憎み(163)、神のみことばを守り行いました(166~168)。みことばを行うことこそは、彼が神を愛していることの証しだったからです。神との双方向の愛の関係に生かされる祝福がここに、豊かに表されています。
 今、私たちは何を求めているでしょうか。多くの人は、自分がいかに役に立つか、いかに実績をあげるか、いかに人に評価されるか、という自分の実績や評価ばかりを気にしているように見えます。何とか達成感を得たいと願いつつ、その過程で私たちのたましいはどんどん枯渇してしまうのではないでしょうか。
 神に愛され、受け入れられている事実を日々味わいながら、私たちのたましいを養ってもらうことが私たちには必要ではないでしょうか。愛し、愛され、双方向の愛の関係に生かされることで、私たちの心にも喜びが与えられ、愛と賛美にあふれる人生へと変えられるのではないでしょうか。そのような喜びは苦しみの極みにあっても、決して失われることがないのです。
 忙しい毎日です。なすべきことに追われることの多い私たちです。思い煩いの多い歩みかもしれません。しかし、神は私たちをこのような豊かな人生へと導いてくださいます。導きたいと願っておられます。神を恐れ、この方のみことばに信頼し、この方との関係を最優先しようではありませんか。