みことばの戸が開く時           詩篇119篇129~136節

2022年10月16日 飯能キリスト聖園教会    礼拝説教要約(若井和生師)

 詩篇の著者はみことばの素晴らしさを、今までも多くのことばによって言い表してきました。今日の箇所においては「あなたのさとしはくすしい(129)」と語っています。「くすしい」とは、人間の思いと理解をはるかに超えたところにある素晴らしさ、不思議さを表しています。それはどのようにくすしいのでしょう。そして、そのくすしさを私たちはどれだけ知っているでしょうか。

【1】 光
 彼はみことばのくすしさを、まず光のイメージで語りました。「みことばの戸が開くと光が差し、浅はかな者にさとりを与えます(130)」 みことばは光のようです。その光が差すと浅はかな者にさとりを与えるのです。
 光はいつも差し込んでいるのに遮るものがあるために、その光は私たちのもとに届きません。ところが「みことばの戸が開く」時、つまり、その遮っているものが取り除かれる時に、光が私たちの内に差し込んできます。そして私たちの内側をはっきりと照らすのです。
 光が差し込んで来る時に明らかになるのは、私たちの心の汚れ具合です。暗かった時には見えなかった塵やゴミや汚れがはっきりと見えてきます。自分がいかに浅はかな者であるのかがわかります。しかし同時にそれは恵みの光、真理の光です。私たちを真理に導き、悔い改めに導き、救いへと導くのです。

【2】 食物
 詩篇の著者はみことばのくすしさを、次に食物のイメージで語りました。「私は口を大きく開けて、あえぎます。まことに私はあなたの仰せを慕います(131)」 まるで母鳥が届けてくれた餌を求めるひな鳥のようです。口を大きく開けて、食物であるみことばを慕い求めている詩篇の著者の姿が表されています。
 みことばは霊の糧です。イエス様も「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる(マタイ4の4)」と語られました。それは私たちの健康維持と健全な成長のために、さらに生きるために必要なものです。同時にみことばは私たちのたましいの飢え渇きを満たしてくれます。
 クリスチャンになっても私たちは時々、むなしさを感じることがあります。心の深いところで満たされていない飢えや渇きを抱えてしまうことがあります。しかし、イエス様は言われました。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんな時にも、決して渇くことがありません(ヨハネ6の35)。」 みことばは私たちを満たしてくれるのです。
 
【3】 祈り
 そのようなみことばの深い体験と味わいの中から祈りが生まれてきました。まず彼は、「①御名を愛する者のために定めておられるように、私に御顔を向け、私をあわれんでください(132)」と祈りました。みことばの約束に支えられながら、神様に向かって大胆に神のあわれみを求めています。
 次に「②みことばによって私の歩みを確かにし、どんな不法にも私を支配させないでください(133)」と祈りました。神を愛しながらも、その神の愛から自らを引き離し支配しようとする力を、彼は意識していたことがわかります。そのような強い影響から守られるように、自分の歩みを確かにしてほしいと彼は祈りました。
 さらに「③私を人の虐げから贖い出し、あなたの戒めを守るようにしてください(134)」と祈りました。敵の強い影響に彼は支配されつつあったことがわかります。そのような敵の陣地から自らを贖い出し、みことばを守れる者としてほしいと祈りました。
 そして最後に「④御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせ、あなたのおきてを教えてください(135)」と祈りました。ますます強く神の光によって照らされ、みことばによって教えてほしいとの祈りに彼が導かれていることがわかります。
 これらの祈りはすべて、闘いの中での勝利を求める祈りでした。彼は自分との、この世との、強力な敵との戦いの渦中に置かれていました。その中で、彼は必死にみことばを求め、みことばによる神様との確かな関係を求めたのです。そのような闘いの厳しさが、神様との関係を強く彼に求めさせていたことがわかります。

【4】 むすび
 「私の目から涙がとどめなく流れ落ちます。彼らがあなたのみおしえを守らないからです(136)」 詩篇の著者は祈りの中で、彼を苦しめる敵どもがみことばを守らない様子を見て嘆き悲しみました。十字架の上で自らを十字架にはりつけにした敵たちのために祈ったイエス様のような姿が、彼にも見られることがわかります。
 私たちは神様を知れば知る程、みことばの恵みに生かされれば生かされる程、神を知らず、神に背き反逆する人々の姿に心を痛めるようになります。神様との深い交わりの中で、私たちもキリストの姿へと変えられていくのです。
 くすしいみことばに、私たちの目をしっかり留めましょう。みことばに向かって私たちの口を大きく開けましょう。みことばのくすしさを豊かに味あわせていただきながら、キリストの姿へと変えていただこうではありませんか。