神の民に加えられる喜び        創世記25章7~11節

2021年9月26日 飯能キリスト聖園教会  帰天記念礼拝説教要約(若井和生師)


 創世記25章8節に「アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。そして自分の民に加えられた」と記されています。アブラハムの晩年は幸せで満ち足りていました。この箇所より、信仰者にとって人生で一番幸せな時は、晩年であることを覚えたいと思います。なぜでしょう?

【1】 罪に対する解決を得ていた
 一番目に信仰者は自分の罪に対する解決を得ているからです。アブラハムの人生を振り返ると失敗もありました。罪をおかしたこともありました。普通なら後悔や心残りがあるものだと思います。ところが聖書にはアブラハムが「年老いて満ち足りていた」と記されています。これは、アブラハムに何の悔いも後悔もなかった、ということです。これは驚くべきことだと思います。アブラハムが神様との関係において罪に対する解決を得ていたからです。
 「アブラハムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。(15の6)」 アブラハムは神を信じました。それゆえにアブラハムは神に義と認められました。信仰によって神様に義と認められ、神様に完全に受け入れられたのです。
 人は長生きすればする程、罪を犯すものです。そして犯した罪の結果もしっかりと残ってしまいます。よって長く生きれば生きるほど、悔いや後悔も増えてしまいます。しかし、信仰者は救い主イエス・キリストをただ信じていることのゆえに、すべての罪の赦しを得ています。よって平安の内に最期の時を迎えることができます。何と幸せなことではないでしょうか。

【2】 与えられたつとめを成し遂げた
 二番目に信仰者は人生で自分に与えられたつとめをすべて成し遂げるからです。アブラハムの晩年には満足がありました。自分に委ねられたつとめをすべて成し遂げることができたからです。妻のサラが天に召された時、アブラハムは妻の埋葬のために墓地を購入することができました。その墓地はやがて自分が入る墓地であり、アブラハムの子孫が入る墓地でした。それはやがてイスラエルの民が約束の地を所有するしるしとしての墓地だったのです。
 また息子イサクにも信仰を共にする妻リベカを迎えることができました。そしてそのイサクに自らの全財産を譲ることができました。それは自分が死んだ後の次世代に対する準備であり、神様のご計画の進展でもあったのです。
このようにアブラハムは着々と自分の死の準備を進めていたことがわかります。そのようにして神様から与えられたつとめのすべてを成し遂げることができました。当然そこには満足と感謝があったのです。
 生きている間に成し遂げるべきつとめが私たちにも与えられています。それが果たされて初めて私たちは神様によって息を引き取られます。与えられたつとめに最後まで忠実でありましょう。

【3】 死後に希望をもっていた
 三番目に信仰者は死後に希望をもっているからです。アブラハムの死について、聖書はアブラハムが「自分の民に加えられた」と語っています。自分の民とは誰のことでしょう。アダム、エバ、アベル、セツ、エノシュ、エノク、ノア…つまり先に召されていった信仰の先輩たちの中に加えられた、ということです。アブラハムは生きている時から、この事実を意識し、神の民に加えられることを待ち望んでいました。なぜならばへブル人への手紙11章16節にアブラハムは「もっと良い故郷、天の故郷に憧れていた」と記されているからです。つまりアブラハムは主の救いにあずかって永遠のいのちを確信していたということです。
 信仰者にとって死とは人生の終わりではありません。それは単なる通過点にすぎません。死という通過点を通って、もっと素晴らしい天の御国へと私たちは移されるのです。そして先に帰天された方々、神の民に私たちも加えられます。そこは私たちにとって故郷と呼べる場所です。よって信仰者にとっての晩年とは人生で一番幸せな時なのです。

【4】 結び
 アブラハムが死んだ後が尚も素晴らしいと思います。複雑な間柄にあったイサクとイシュマエルというアブラハムの二人の息子が、一緒になって父アブラハムを埋葬してくれました。しかも妻サラが埋葬されているのと同じマクペラの墓にです。そしてその後、神様はイサクを豊かに祝福してくださいました。アブラハムに与えられた神様の祝福は、そのまま息子イサクに引き継がれていったのです。こんな幸いな晩年は、他にありません。
 私たちは果たしてどんな晩年を過ごすでしょうか。それは幸せで満ち足りた晩年でしょうか。先に帰天された方々の晩年の姿を思い出す時、皆、幸せで満ち足りた晩年だったと思います。先に帰天された私たちの先輩たちの信仰者としての姿から、私たちも励ましを得たいと思います。
 私たちも、イエス・キリストの十字架の信仰によって、私たちの罪をしっかりと解決していただきましょう。与えられたつとめに最期まで忠実でありましょう。そして天のふるさとに私たちはもっと憧れましょう。そのようにして私たちもまた幸せで満ち足りた晩年を、神とともに過ごしていきたいと思います。