御声に聞き従う           創世記22章15~19節

2021年9月19日 飯能キリスト聖園教会      礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 神への信頼を深めていくアブラハム
 今まで「アブラハムの祈り」というテーマで、アブラハムの祈りを中心とした信仰者としての姿に私たちは注目してきました。その過程で、神様への信頼を深めていくアブラハムの姿を私たちは確認してきました。行先のわからない旅に出発した時も、ロトとのトラブルにあって落胆した時も、子どもが与えられなくて苦しんだ時も、神様は最善をなして下さいました。自分にはよく理解できなくても信じ従っていく時に、主は最もよい方法で応えて下さる。そのことをアブラハムは繰り返し教えられてきました。その過程でアブラハムの主に対する信頼は、どんどん深められていったのです。
 信仰とは信頼であることをアブラハムから教えられます。神がおられること、神様がひとり子イエス様を私たちに下さったこと、イエス様が私たちのために十字架にかかり死んで下さったこと…それらの事実を信じるところから私たちの信仰は始まります。しかし、それだけではありません。その先に神様に信頼すること、神様との個人的な交わりの中で信頼関係を養っていくこと。私たちの信仰とは神様との生きた交わりに生かされる人格的な信仰である、ということです。
 そのアブラハムの信仰が遺憾なく発揮されたのが、モリヤの山での出来事でした。息子イサクを神様に全焼のいけにえとして献げるという行為は、若い時のアブラハムにはとてもできなかったことでしょう。神様に対する信頼を養ってきたアブラハムだからこそ、できたのでしょう。神様は私たちを耐えられない試練にあわせることはなさらないからです(Ⅰコリント10の13)。
 愛する息子イサク以上に、神様を第一としてイサクを献げたアブラハムの信仰を見て、神様は喜んで下さいました。そして今日の箇所において、神様はアブラハムにさらに祝福を約束して下さいました。

「あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。(16~18)」

 神様はすでに与えておられた祝福の約束をここでもう一度確認し、さらにその上に祝福を増し加えて下さいました。
 主が私たちに求めておられるのは、私たちの神様に対する表面的な従順ではありません。心から信頼です。神様との生きた交わりの中で、神様に対する信頼関係を深めていきたいと思います。

【2】 祝福を得るための信仰か、信仰を得た結果の祝福か
 今日の聖書の箇所を読んで「アブラハムは神様からの祝福が欲しくて、神様に聞き従ったのではないか」と考える人が、もしかするといるかもしれません。そうではありません。アブラハムは神様を信じたから、その結果として祝福されたのです。私たちは、私たちの信仰が祝福を得るための手段としての信仰になってしまわないよう気をつけなければなりません。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます(使徒の働き16の31)」と聖書では教えられています。とても励まされるみことばですが、このみことばの前半よりは後半部分に注目し、「家族の救い」という祝福を得るための手段として、信仰を考えてしまうことが私たちにはあるように思います。
 大事なのは後半ではなくむしろ前半です。大切なのは私たちが主イエスを信じること、そこには主イエスに対する信頼が含まれています。その時に後半に約束されている家族の救いという祝福が与えられます。大事なのはかたちだけの信仰ではなく、主イエスを信じ信頼することなのです。
 親が子どもに期待することは子どもの親に対するかたちだけの従順ではないはずです。子どもが親を愛し、親に心を寄せ、親を信頼してくれることを親は何よりも期待しているのではないでしょうか。そのような子どもに対して親は、心から祝福を与えるのではないでしょうか。放蕩息子の兄は、父の下にいて従順に父に従う模範的な息子でした。しかし、心は父親と通じ合っていなかったのです(ルカ15の25~32)。私たちの信仰生活も、放蕩息子の兄のようになってしまわないように注意が必要です。

【3】 結び
 アブラハムは神様の声に聞き従いました。祝福がほしかったからではありません。それが喜びだったからです。そこに神様に対する信頼があったからです。
 私たちの信仰は、神様を信じ信頼することが中心になっているでしょうか。神様との人格的な交わりの中に生かされているでしょうか。それが喜びとなっているでしょうか。信仰者としてのふるまいはあっても、神様との生きた交わりが十分に経験されていなければ、それはかたちだけの信仰になってしまいます。
 神様は私たちの心からの献げ物を求めておられます。みこころと一つになる者に、ご自身を豊かに現わしてくださいます。祈りの内に私たちの心を注ぎ出し、神ご自身を知る恵みに生かされてまいりましょう。