医者を必要とするのは病人です     マタイの福音書9章9~13節

2021年12月5日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 イエス様が来られ神のみわざがなされた時、イエス様を信じ従う人もいましたが、イエス様に反発する人もいました。両者の違いはどこにあるのでしょう。
 
【1】 取税人マタイ
 この日イエス様はマタイに目を留められました。マタイの福音書を記したマタイです。この人は「取税所に座っている」取税人でした。当時ユダヤ地方はローマ帝国の支配下にあり、取税人は異邦人の支配者に代わってユダヤ人たちから税を取り立てる者たちでしたので、彼らは大変嫌われていました。その取税人であるマタイに、イエス様は目を留められたのです。
 マタイを見つめるイエス様のまなざしは、罪深いマタイを非難したり侮辱したりするような目ではなかったと思います。表面的な同情とともに人を軽蔑するような目でもなかったと思います。罪に苦しむマタイの苦しみを理解しつつ、そのまま受け止める優しいまなざしだったと思います。
 その上でイエス様はマタイに語られました。「わたしについて来なさい」。このことばを聞いてマタイはとても感動したことでしょう。それはマタイを愛し、マタイを受け入れ、マタイを必要とし、さらに用いられようとするイエス様の愛に満ちたことばだったからです。今までマタイは人々から嫌われ蔑まれてきました。経済的には豊かであったとしても、彼の心は深い孤独で苦しんでいたのです。
 マタイはすぐに起き上がり、イエスに従いました。取税人の仕事と立場を捨ててイエス様に従ったということです。イエス様との出会いはマタイにとって人生を変える大きな出会いでした。
 私たちもかつて、このような出会いを経験したのではなかったでしょうか。イエス様は私たち一人ひとりにも、同じようにして出会ってくださったのではなかったでしょうか。私たちのありのままを愛し、受け入れて下さったイエス様に感謝したいと思います。

【2】 医者を必要とする者
 マタイはイエス様を自分の家に招き、イエス様と弟子たちのもてなしを始めました。彼らの仕事仲間であるたくさんの取税人たちも一緒です。楽しそうに食事をしている時、パリサイ人たちがその光景を見て、弟子たちに言いました。「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか。」 罪人たちとともに食事をすることによって、自らも汚れると考えていた彼らは、イエス様が取税人や罪人たちと食事をしている姿を見て、大いに戸惑ったのです。
 するとイエス様は言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。」 とても当たり前のことです。医者を必要とするのは健康な人ではなく病人です。この当たり前のことを敢えて言ってもらわなければならない程、パリサイ人たちは大きな問題を抱えていました。彼らは、自分の深刻な病に自分でも気づいていないという大きな問題を抱えていたのです。
 イエス様は続けて「わたしが喜びとするのは真実な愛。いけにえではない、とはどういう意味か、行って学びなさい」と語りました。パリサイ人たちにいけにえを神にささげる、つまり宗教的な行いやふるまいはありました。しかし、そこに神様に対する真実な愛はなかったのです。立派な信仰的な行いはあるのに、その行いに拠り頼んでいるために、信仰に生きることはありませんでした。隠された罪が赦されることもなく放置されていたのです。
 そしてイエス様は言われました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためでなく、罪人を招くためです。」

【3】 素晴らしい医者・イエス様
 このことばよりイエス様は私たちのたましいの医者として、この世に来られたことがわかります。しかも素晴らしい医者です。第一にイエス様は、私たちの抱えている罪という深刻な病を教えてくれる医者です。イエス様は「罪人を招くために来た」とおっしゃられました。私たちが罪人であることをはっきりと指摘されます。よい医者は必ず私たちの抱える病を教えてくれます。
 第二にイエス様は、私たちのところまでやって来て、招いてくださる医者です。医者の方から患者のところにやって来て招いて下さる医者など普通いません。しかしイエス様は向こうから私たちのところにやって来られ、しかも招いてくださいます。罪人である私たちを決して拒まず、招き受け入れてくださるのです。
 そして第三に、私たちの病を完全に取り除いて下さる医者です。私たちの罪を赦すことによって、私たちの罪の問題を解決してくださる方なのです。

【4】 結び
 私たちの内側にある罪という深刻な病と私たちが向き合えるのは、イエス様の温かいまなざしを私たちが意識し、イエス様の優しい招きの声を聞くからです。私たちが救われるためには罪の悔い改めが必要です。しかし、その悔い改めですらイエス様の招きがあって、そのように導かれるのです。イエス様は私たちの病の癒し、罪の赦しに真剣です。私たちを根本から救いたいと願っておられます。マタイのように私たちも罪の病をしっかりと癒していただき、この方に心から従っていこうではありませんか。