わたしに従って来なさい        マタイの福音書8章18~22節

2021年11月7日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 マタイの福音書8章は、イエス様の奇跡が多く記されてある箇所なのですが、今日の箇所はその中にあって特別な内容になっています。ここでイエス様は、私たちがイエス様に従って行く上での心構えについて教えておられます。私たちは今、どんな思い、どんな姿勢でイエス様に従っているでしょうか。
 
【1】 人の子には枕するところもありません
 イエス様が弟子たちとともにガリラヤ湖の向こう岸に渡るために準備をしておられた時、一人の律法学者が来てイエス様に言いました。「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」 彼はイエス様の語られる教えを聞いて、またイエス様によってなされるみわざを見て、感動したのだと思います。そしてこのイエス様について行きたいと心から願ったのだと思います。
 「あなたがどこに行かれても…ついて行きます」と彼は言っています。それが中途半端な決心ではないこと、強い覚悟が伴った彼の心からの決断だったことが伝わってきます。
 そんな律法学者に向かってイエス様は言われました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」 狐や空の鳥には、安堵できる場所、安らぎの場所があるのに、イエス様には枕するところもありません。その時のイエス様には帰る場所も、安らぎの場所もなく、ゆっくり休むことのできる場所もなかったのです。
 このことばより私たちは、当時のイエス様の心境をほんの少し垣間見ることができます。イエス様の地上での生涯は激務に追われ、十分に休むこともできず、しかも誰からも理解されず、孤独でした。イエス様の本来の居場所であった天から離れて一人この地上に下り、ひたすら人々に仕える日々でした。そんなイエス様に、この地上で心から安らげる場所はなかったのです。
 同時にこのことばをイエス様はその時、律法学者に語られました。イエス様は彼に共感してもらいたかったわけではないでしょう。そうではなくてイエス様は彼に問いかけています。イエス様に従うということがどういうことなのか、そこにある厳しさについて知っているのか、と問いかけておられるのです。
 この男はイエス様に何を期待していたのでしょうか。そして私たちもイエス様に何を期待しているのでしょうか。イエス様に従う道が、どんな道なのか十分にわかっているのでしょうか。

【2】 わたしに従って来なさい
 次に別の一人の弟子が来てイエス様に言いました。「主よ。まず行って父を葬ることをお許しください。」 この人もイエス様について行きたいという強い願いをもっていたようです。先程の律法学者はイエス様のことを「先生」と呼んでいましたが、この人はイエス様のことを「主」と呼んでいます。単なる教えを受けるべき「教師」としてではなく、つき従っていく「主」として、この男にはイエス様のことが理解されていました。
 ただ、その時は彼の父親が亡くなったばかりの時で、彼はまず父を葬らせてほしいとイエス様に許可を求めました。その後、彼はイエス様に従うつもりだったのです。
 彼は彼の提案を、イエス様がきっと認めてくれると思っていたに違いありません。ところがイエス様の反応は彼の予想に反するものでした。イエス様はこう言われたのです。「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」 このイエス様の反応に彼は驚いたのではなかったでしょうか。
 父を葬ることは当時のユダヤ社会の中にあって、最も大事なつとめであると認識されていました。「あなたの父と母を敬え」という十戒の教えに基づいたつとめとして、とても大切にされていたのです。しかし、イエス様は「死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい」と命じられました。そして「あなたはわたしに従って来なさい」と命じられました。
 イエス様はここで、この世のつとめを軽んじてもよい、と教えているのではありません。キリストの弟子にはこの世のどんなつとめにも勝る、もっと大事で最優先すべきつとめがあるということを教え、さらに、あなたにとって最も大事なつとめは何か、とイエス様はここで彼に問いかけたのです。
 
【3】 結び
 私たちがイエス様と向き合う時に、私たちが実は何を一番にしているかが問われます。この世のつとめを軽んじるべきではありません。しかし同時に優先順序が曖昧になることも許されません。私たちの信仰は「イエス様も、私も、どちらも」という信仰ではありません。「イエス様か、私か、どちらか」という信仰です。イエス様に従うことを最優先にする信仰です。この弟子としての心構えが、私たちの中で充分に定まっていないことがあるのではないでしょうか。
 「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます(マタイ6の33)。」 神の国と神の義をまず求め、神を第一にして従っていく者を、主は必ず祝福してくださいます。この主に私たちは心からお仕えしていきましょう。