泣き叫ぶ、祈りの中で             創世記21章8~21節

2021年10月31日 飯能キリスト聖園教会    礼拝説教要約(若井千鶴子姉)

 9月に続いてハガルという女性に注目します。ハガルはエジプトから連れて来られたサラの女奴隷でした。サラに子どもがなかったため、サラの代わりにハガルがアブラハムの子どもを身籠ることになります。その結果、ハガルは子どもが産めない主人に対し高ぶったためにサラよりひどい扱いを受け、女主人の下から逃げ出しました。しかし主の使いがハガルに現れ、身を低くして女主人の下に帰るよう諭しました。その結果、ハガルはサラの下に戻り、サラに仕え続けることになります。

【1】 子どもにも引き継がれる罪の現実
 ハガルに与えられた息子はイシュマエルという名前でした。このイシュマエルが14歳の時、アブラハムとサラの夫婦に息子イサクが与えられました。そのイサクが乳離れした時、アブラハムはイサクのために盛大な宴会を開きます。
 その時のことです。サラは、イシュマエルが自分の息子イサクをからかっているのを目撃します。14歳にもなる少年が乳離れしたばかりの赤ん坊をからかっている姿に、私たちは異常さを感じます。イシュマエルはアブラハムの子ではあっても奴隷の母をもち、その環境はとても複雑でした。彼は奴隷である母親が苦労している姿を見て育ってきたことでしょう。母親同士の複雑な関係が、そのまま、子どもにも引き継がれていることがわかります。
 イサクがイシュマエルにからかわれている姿を目撃した時、サラは「この女奴隷とその子を追い出してください」とアブラハムに迫りました。サラの怒りがここで再び爆発していることがわかります。アブラハムは非常に苦しみました。自分の子どもに関することだったからです。自分の弱さゆえにこの様な状況を引き起こしてしまったことをアブラハムは心から悔やんだことでしょう。

【2】 アブラハムに対する神のあわれみ
 しかし、そんなアブラハムに神様は「サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい」と告げました。そして、あの女奴隷の子も一つの国民とすると約束してくださいました。アブラハムを厳しく責めるのではなく、イシュマエルもあなたの子孫なのだから、イシュマエルをも私は祝福すると約束してくださいました。何とあわれみ深い神様でしょうか。
 私たちも日々多くの失敗を繰り返して生きています。しかし忍耐深い主は私たちの自分では解決できないような問題にも愛をもって関わってくださり、その御力によって解決できるよう私たちを導いて下さるのです。

【3】 ハガルに対する神の導き
 神様のご計画を知らされたアブラハムは翌朝、パンと水の皮袋をとってハガルに与え、彼女の肩に載せて二人を送り出しました。かわいそうなことにハガルは再び、今度は息子と共に荒野をさまようことになってしまいました。
 水がなくなり、もう死を待つしかないという状況に追い込まれた時、ハガルはイシュマエルを一本の灌木の下に放り出し、その場から離れて声をあげて泣きました。息子の死ぬ姿を見たくなかったからです。以前、サラのいじめに耐えられなくなって逃げ出したハガルが、今度はアブラハムに追い出されることになってしまいました。さらに深い苦しみに直面させられていることがわかります。
 残念ながらこの世には患難があります。この世界は罪で満ちています。私たちは罪ゆえの苦しみを避けることは決してできません。私たちはしばし苦難にある時、自分のことで精一杯になり、イエス様の存在を見失ってしまうことがあります。苦しみや辛さのゆえに上を見上げることができなくなってしまいます。かつて「エル・ロイ(私を見て下さる神)」と叫んだハガルなのに、この時は自分を見てくださっている主の存在を忘れてしまいました。
 神の使いは少年の声を聞かれ、ハガルを呼んで言われました。「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。(17)」 神様は、母親に見捨てられて絶望の淵に立たされていたイシュマエルの声を聞いてくださいました。そしてハガルにこう言われたのです。「立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民とする。(18)」
 その時のイシュマエルに必要だったこと、それは母親の腕によってしっかりと抱いてもらうこと。ハガルには大切なつとめが与えられていました。それは、イシュマエルの母親としての責任をしっかりと果たすこと、それによってイシュマエルの子孫を祝福しようとされている神様のみこころを果すこと。神様はハガルをご自身のご計画の中に再び引き戻して下さったことがわかります。
 主のことばを聞き、ハガルの目は開かれました。そしていのちの水の源である井戸を見つけたのです。ハガルはイシュマエルの下に駆け寄り、彼を抱きしめ、そして水を飲ませました。

【4】 結び
 私たちの目は今、開いているでしょうか心配や不安、失望や絶望のゆえに私たちの目が閉ざされていることはないでしょうか。私たちのプライドや不信仰のゆえに、そこにある主の恵みを見失っていることはないでしょうか。私たちもみことばを信じ、みことばによって目開かれ、主の恵みの中で生かされる者となりましょう。