これほどの信仰         マタイの福音書8章5~13節

2021年10月10日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 福音書はイエス様が来られた時の衝撃の大きさを、私たちに生き生きと伝えています。前回の箇所においては、イエス様がツァラートの人にさわられた光景がそこにいた人々に大きな衝撃を与えました。今日の箇所においては、イエス様の次のことばが人々に大きな衝撃を与えました。
 「わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。(10)」 イエス様は異邦人である百人隊長の信仰を高く評価されました。しかも、イスラエルの人々と比較して、このような信仰はイスラエルの中にも見られない、と断言されました。当時、イスラエルでは異邦人は汚れた民と見なされ、異邦人の信仰が高く評価されることはなかったのです。イエス様を驚かせた百人隊長の信仰とは、一体、どんな信仰だったのでしょうか。

【1】 百人隊長の信仰
 この百人隊長は人格者だったことがわかります。まず自分のしもべの病の癒しを求めてイエス様のところにやって来ました。実にしもべ思いの主人ではないでしょうか。こんな上司を持っている部下は幸せだと思います。
 さらにルカの福音書の平行記事を読むと、彼がユダヤ人からも尊敬されている人だったことがわかります。ユダヤ人の長老たちに「この人は私たちの国民を愛し、私たちのために自ら会堂を建ててくれました。(ルカ7の5)」と評価されているからです。異邦人なのにユダヤ人から評価されるとは、彼が相当な人格者であった、ということです。
 そして彼はとても謙遜な人でした。イエス様に対して「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません」と語っているからです。このようにこの百人隊長は誰からも信頼される人格者でしたが、しかし、イエス様を驚かせたのはその彼の人格ではなく、彼の信仰でした。特にイエス様を驚かせたのは彼の次のことばです。
 「ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒されます。(8)」 イエス様に実際に来ていただかなくても、イエス様のおことばさえいただければ、私のしもべは癒される。そのように信じきっている彼の信仰に、イエス様は驚かれたのです。
 この百人隊長はなぜ「おことばだけで癒される」と言い切れたのでしょうか。それは、彼が「権威の下にある者」だったからです。権威を信じて、自らをその権威の下に置く人でした。それゆえに権威に基づくことばが確実であることを彼は知っていました。彼が命じた命令通りに兵士たちが行動することを彼は経験していたのです。
 私たちは権威を重んじることの大切さをこの百人隊長の姿から教えられます。聖書にも「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです(ローマ13の1)」と教えられています。この世に存在する権威はすべて神によって立てられた神の権威です。みことばを信じるかどうかは、この神の権威をどれだけ重んじているかにかかっているのです。

【2】 私たちの信仰
 イエス様はこの百人隊長の信仰を高く評価する一方で、このような信仰がイスラエルのうちのだれにも見られない事実を指摘しておられます。これは聞いたユダヤ人たちのプライドを著しく傷つける言い方でした。しかも、イエス様は続けて、やがて御国が完成した時にイスラエルの偉大な先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着くのは、世界中から集められた異邦の民であると言われました。そして御国の子ら、つまりイスラエルの民たちは外の暗闇に放り出されて、そこで泣いて歯ぎしりする、と言われたのです。何と言う挑戦的なことばではないでしょうか。
 一体当時のイスラエルに見られる信仰とはどんな信仰だったのでしょうか。第一にそれは「しるしを求める信仰」でした。神のことばだけでは飽き足らずに、目に見えるしるしを欲する信仰でした。第二にそれは「行いによって義と認められる信仰」でした。彼らにとって大事なのは信じることではなくて、行うことでした。行いによって義と認められること、自らの正しさと努力とによって与えられる評価を求めていたのです。
 そのどちらにも神のことばに対する信頼がありませんでした。神のことばだけではもの足りないのです。神様との生きた交わりが欠如していること、神様との関係が希薄だったことがわかります。

【3】 結び
 私たちの信仰を見てイエス様はどのように評価されるでしょうか。「これほどの信仰!」と評価してもらえるでしょうか。つまり私たちの信仰は本当に、みことばを信じる信仰でしょうか。権威ある神を覚えて、その方のことばに信頼する信仰でしょうか。
 それともみことばだけでは飽き足らずに、目に見える何かを求める信仰でしょうか。自分の行いや努力によって義と認められようとする信仰でしょうか。神のことばは偉大なる神様の生きたことばです。それゆえに神のことばには力があります。私たちは、みことばにますます信頼しようではありませんか。