ペテロの涙          マルコの福音書14章66~72節

2021年2月28日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 皆さんは今までどんな失敗をしてこられたでしょうか。失敗すると私たちは落ち込み、自信を無くします。立ち上がるまでに長い時間がかかってしまうこともあります。でも、そんな時に聖書を読むと慰められ、励まされます。聖書の登場人物は皆、失敗をしていて、しかも、その失敗がその人物の成長のために大事な経験であったことを、聖書を通して教えられるからです。
 その中でも最も有名な「失敗」は、ペテロがイエス様を三度否定してしまうという失敗でしょう。ペテロはどのような経緯でイエス様を三度も「知らない」と言ってしまったのでしょうか。これはペテロにとってどんな経験だったのでしょうか。
 
【1】 どのような経緯で
 ゲッセマネの園でイエス様が捕らえられる際、弟子たちは皆、怖くなって逃げてしまいました。しかし、その中でペテロだけは気持ちを取り戻して戻ってきました。そして、大祭司の家の庭の中まで入ってきました(54)。
 なぜペテロは気持ちを取り戻して戻ってきたのでしょうか。彼自身の勇気だったかもしれません。一番弟子としての自覚だったかもしれません。さらにかつて「たとい皆がつまずいても、私はつまずきません」とイエス様に言ってしまった手前、簡単には引き下がれなかったのでしょう。とにかくペテロはイエス様の近くまで戻ってきました。とても立派だったと思います。
 しかし、そこにペテロのいることが、次第に人々に知れ渡っていきます。大祭司の召使いの女の一人が、ペテロの顔をじっと見つめた上で「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね」と問いかけました(67)。するとペテロはとっさに「何を言っているのか分からない。理解できない」と答えてしまいました(68)。その時、鶏が鳴いたのです。
 さらに、召使いの女はペテロを見て、「この人はあの人たちの仲間です」とそばに立っていた人たちに言い始めましたので、ペテロはさらに怖くなって、再び否定してしまいました(69~70)。
その後、しばらくペテロは粘ったようですが、そばに立っていた人たちが、また言い始めました。「確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。(70)」 ペテロがイエス様の仲間であることを、複数の人々が断言し、しかも、その根拠まで示されてしまいました。ペテロは遂に「嘘ならのろわれてもよい」と誓い始め、「私は、あなたがたが話しているその人を知らない」と言ってしまったのです。三度目の否定です。その時、鶏がもう一度鳴きました(71~72)。
 ペテロは自分の心を支配する恐怖を覚えながら、それを何とか乗り越えようと必死に闘っていたと思います。それでも結果的には恐怖に勝利することができませんでした。自らの弱さをさらけ出す結果になってしまいました。
 しかし、これら一連の出来事が神様の支配の中で起こっていました。神様はいろんな人々との出会いを通して、ペテロの弱さを明らかにされたのです。私たちにとって自分の力で強くなることが成長なのではありません。本当の成長は自らの弱さを知らされ、弱さの内に主に信頼することを通して与えられるのです。

【2】 ペテロの涙の意味
 鶏が二度鳴いた後、ペテロは泣き崩れました。そこでペテロが流した涙はどんな涙だったでしょう。
 第一にそれは自分自身に対する情けなさから来る涙だったことでしょう。意地っ張りで強がっている自分が、実は弱くて不甲斐ないということを、とことん思い知らされる経験でした。
 しかし同時にこれは、イエス様の深い愛を知らされたゆえの涙でした。鶏の鳴き声を聞いた時、ペテロはかつてイエス様がペテロに対して語られた「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」とのことばを思い出しました。イエス様はすべてご存知だったのです。全部ご存知だった上で、イエス様はペテロのことを受け入れ、愛しておられたのです。
 この経験はペテロにとって自分自身をよく知る経験であり、同時に、イエス様の愛をはっきりと知らされる経験でもありました。ペテロの人生にとって最大の経験であり、ペテロがペテロ(岩)となるために、どうしても必要な経験だったのです。

【3】 イエス・キリストの愛
 このペテロの失敗の記事が四つの福音書のすべてに記され、しかも、イエス様の受難の話の一部として示されています。イエス様はペテロのような弱い私たちのために、その弱さを受けとめ、十字架に架かって死んで下さいました。それは私たちの罪を赦し、私たちをもう一度立ち上がらせるためです。
 イエスの愛は失敗した者を立ち上がらせる愛です。イエスの赦しと恵みそのものが福音です。私たちが弱い時に強くして下さるイエス様の愛を知り、その愛に生かされる者となりましょう。

【祈り】
 私たちの弱さの内に主に信頼することができますように。