ほふられた子羊        ヨハネの黙示録5章6~14節

2020年12月27日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 2020年最後の礼拝となりました。振り返ってコロナ対応に追われてきた一年だったと思います。感染防止のために礼拝を二つに分けたり、礼拝や集会を一時的に休止したり、礼拝のオンラインによる配信を始めたり、6月からは夕礼拝を始めたり、その時その時でいろんなことに取り組んできました。皆で一つに集まることが難しくなったために、情報の共有や奉仕の分担・連携・確認、長期でお休みする方々のケアなどが大きな課題となりました。
 様々な制限と制約がある中でしたが、教会は組み合ったり、結び合ったりしながら互いに支え合い、「キリストのからだ」として本当によく機能してきたと思います。細部に至っては不十分な点も多々あったかもしれません。しかし、それでも教会が守られ祝されてきたのは、礼拝を大切にしながら、教会の中心に主がおられることを絶えず覚え合うことができたからだと思います。一年を通じて教会のいのちを感じさせられました。そのような土台があるからこそ、救われる人や熱心な求道者が与えられているのだと思います。一年の恵みを覚えて心から主に感謝します。
 来たる新しい年、状況はもしかするともっと厳しくなるかもしれません。私たちの生活が混乱に巻き込まれ、心が不安に捕らわれやすくなるかもしれません。しかし私たちは新しい年も礼拝を中心として、神の臨在の中で歩ませていただきたいと思います。目に見える現実の中に、目に見えない神のご支配が確かに存在していることに感謝しながら、歩んでいきたいと思います。

【1】 天上の礼拝
 ヨハネの黙示録の中にあって4章と5章は特別です。使徒ヨハネが、そこで天上の礼拝の姿を特別に見せていただいたからです。その光景をヨハネはそこに書き留めました。
 4章の前の2~3章においては地上で奮闘する7つの教会の姿が記されています。迫害に晒される中、必死で闘っている教会、初めの愛から離れてしまった教会、熱さを失って生ぬるくなってしまった教会…と様々でしたが、どの教会も地上の厳しい現実と闘っていました。
 5章の後の6章からは地上に下される神の厳しいさばきの様子が記されています。その間にあって天上の礼拝の様子を描いた4章と5章は光輝いています。4章においては御座に着座される神様に対する礼拝、5章においては「ほふられた子羊」であるキリストに対する礼拝の様子が描かれています。地上の厳しい現実の中にあって、天を仰ぐことの大切さを教えられます。
 しかもこの礼拝はすでに地上で始まっています。不十分で未完成ではあるけれども、しかし私たちの礼拝の中に、天上の礼拝はすでに始まっています。私たちはこの地上ですでに天上の前味を味わっているのです。よって黙示録4~5章の記事は、どこか遠いところにある話ではありません。もう地上に現存している事実です。目に見えない神のご支配が、すでに目に見える私たちの現実のただ中に始まり、力強く成長し続けているのです。その中に私たちは加えられました。

【2】 子羊への礼拝
 御座と四つの生き物(被造物の代表)、24人の長老たち(聖徒たちの代表)の真ん中に屠られた姿の子羊、つまり十字架にてささげられたキリストが立っています(6)。その方は7つの角(力)と7つの目(御霊)をもっていました。私たちの罪のために御前に献げられた子羊が、力と御霊の源泉であることがわかります。全地の教会はこの力と御霊によって生かされています。
 子羊が御座についている方から巻物を受け取った時から礼拝が始まりました(7)。四つの生き物と24人の長老たちは竪琴と香に満ちた金の鉢を持って、御前にひれ伏しました。竪琴は賛美を、香は祈りを表しています(8)。そして御前で賛美しました。子羊は巻物の封印を解くのにふさわしい方であること、子羊がほふられたことによって世界中の人々が贖われ、神のために王国となり祭司とされたことに感謝し、御名をほめたたえました(9~10)。
 さらに彼らの周りに御使いたちが加わり賛美が続きます。その数は「万の数万倍、千の数千倍(11)」。無数の御使いが加わり大声で賛美しました。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
 すると天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがさらに賛美に加わりました(13)。そして最後に四つの生き物が「アーメン」と歌い、長老たちはひれ伏しました。どれだけ感動的な礼拝でしょうか。この壮大で素晴らしい礼拝の姿を、私たちはとても想像することができません。

【3】 新しい年も礼拝の民として
 私たちが地上で経験している礼拝は天上の礼拝の何万分の1かの礼拝だと思います。でも確実にこの礼拝へと私たちは近づいているのです。それは神の力と御霊がいつも満ちていて、賛美と祈りが絶えずささげられている礼拝です。  
2021年はどんな年になるでしょう。さらに重く難しい現実に私たちは呑み込まれてしまうでしょうか。しかし、目の前の世界がすべてではありません。むしろ、私たちは目に見えない神の確かな支配の中に生かされています。新しい年も礼拝の民として歩んでいきましょう。主の力と御霊に生かされ、心からの賛美と祈りを主に献げていきましょう。