主は力をもって来られる      イザヤ書40章9~11節

2020年12月20日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 2020年を振り返って残念なニュース、悲しくなってしまう知らせが多かったように思います。でもこのクリスマスの日、私たちには「良い知らせ」が与えられていることを覚えたいと思います。

【1】 良い知らせ
 9節を読んでわかることがあります。それは、この世には「良い知らせ」と呼ばれる知らせがあること、そして神様はその「良い知らせ」を多くの人々に知らせたいと願っておられることです。そのために「良い知らせを伝える者」が選ばれました。その者たちによって「良い知らせ」が世界中に伝えられます。
 「高い山に登れ」「力の限り声をあげよ」「声をあげよ」「恐れるな」…これらの表現は、その知らせをエルサレムやユダの町々に伝えたいと願っておられる神様の強い思いの表れです。その知らせを神様はどうしても知らせたいし、知らせなければならないし、絶対に知ってほしいのです。よって伝える者たちは遠慮してはいけません。声を大にして、この知らせを伝えるのです。
 罪とその結果に苦しんでいたイスラエルの民を神は決して見捨てませんでした。そして「良い知らせ」を伝えようとされました。同じように今の時代も神様は罪に苦しむ私たちに呼びかけておられます。「良い知らせ」を伝えようとしておられます。そのために先に「良い知らせ」を受けた私たちが用いられるのです。

【2】 見よ。あなたがたの神が来られる
 ただ「良い知らせ」の素晴らしさを私たちが知らなければ、私たちはそれを伝えることができません。むしろ、その素晴らしさを知っているからこそ、その知らせは伝えられていくのです。
 「良い知らせ」とはどんな知らせだったでしょうか。まず「見よ」、呼びかけから始まります。「見よ」という呼びかけのことばが三回繰り返されています。これは人々の注目に値する知らせです。私たちが注目すべき対象はどなたでしょうか。神ご自身です。この神が私たちの下にやって来られる、と言うのです。今までの箇所の中で「慰め」がやって来ると漠然と語られてきた方が、実は神であることが、ここではっきり示されました。
しかもその神は「あなたがたの神」です。イスラエルと無関係の方ではありません。イスラエルのことをよく知っておられる彼らの造り主であり、救い主であり、主なる神なのです。偉大な神・聖なる神が、貧しく弱く罪深い私たちの下にまでやって来られるとは、何と言う驚くべき知らせではないでしょうか。

【3】 力強い救い主
 その神はどのような姿で私たちの下に来られるのでしょうか。神である主は力をもって来られます(10)。そしてその御腕で統べ治めます。罪と死の牢獄を打ち破り、私たちの敵であるサタンを撃退し、私たちを贖い出し、その戦いの「報い」「報酬」として、私たちをご自分の者として下さいます。この神は力強い救い主であることがわかります。
 この力強い神の御業が今も継続中です。人間の愚かな歴史の底流で、今も神の国の建設が進んでいます。救われる人々が起こされています。そのような主の御業が世界中に広がり続けています。

【4】 優しい羊飼い
 さらにこの方は羊飼いのように、その群れを飼う、と記されています(11)。戦いで勝利して私たちを贖い出して下さった方が、その後も私たちを群れとして育て、養って下さることがわかります。しかもこの方は御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導いて下さいます。
 先ほど敵を撃退し、私たちに解放をもたらし、この地を統べ治めたあの力強い御腕によって、子羊を引き寄せ、懐に抱き寄せて下さると言うのです。戦いに勝利をもたらした力強い御腕が、同時に子羊を抱き寄せて下さる優しい御腕であることがわかります。この御腕に抱かれている限り、羊は安全で安心です。羊飼いの御腕に守られて、子羊は平安と喜びに満たされるのです。
 イエス・キリストは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」と語られました(ヨハネ10の11)。イエス・キリストの到来によってイザヤの預言は成就したこと、イザヤが預言した神とは、イエス・キリストであることがわかります。
 神はイエス・キリストとして私たちの下に来て下さいました。私たちに慰めと勝利と平安を与えるために私たちの下に来て下さいました。そして私たちのために十字架にかかり死んで下さいました。私たちを神のみもとに導くためです。しかも主はこれからもずっと私たちの主です。その関係は永遠に続きます。
 こんな素晴らしい知らせが他にあるでしょうか。この知らせをもし私たちが知ったならば、もし体験したならば、私たちは必ず、この知らせを知らせたくなるのではないでしょうか。今年のクリスマス、この「良い知らせ」を味わいましょう。救い主イエス・キリストを心にお迎えしようではありませんか。

【祈り】「良い知らせ」を多くの人々が確かに聴き、知り、受け入れることができますように。