神の定められたリズムの中で       レビ記23章1~14節

2020年11月8日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【序】
 コロナ禍の中、ますます混乱と混迷とを深めていくこの世の中にあって、教会が健康であることが、どんなに求められていることでしょうか。健康な教会でなければ、この世にふさわしく対処することはできません。そのために欠かせないことは、私たちが神の定められたリズムの中で歩むことです。このリズムから外れてしまうところから、私たちは多くの問題を抱えてしまいます。
 レビ記23章には、神によって定められた数々の主の例祭が紹介されています。神様がイスラエルの民に、神の定められたリズムの中で歩むことができるよう、導いておられたことがわかります。

【1】 安息日
 最初に命じられた主の例祭は、レビ記の中で今までも何度か教えられてきた安息日です(1~3)。神の聖なる民となるために、安息日を守ることが本当に必要だったことがわかります。
 安息日に求められたことは、①いかなる仕事もしないこと(「安息日」ということばの意味は「やめる」)、②聖なる会合に集まること、の二つでした。それまで続けてきた働きや営みを一旦やめて、主の御前に集まること、そして主を礼拝することで、イスラエルの民は神の恵みによって生かされている自らをいつも確認することができました。その歩みを毎週繰り返すことで、神のリズムが生活の中に刻まれていったのです。
 安息日とは「主の安息日」であり、創造の7日目に神が創造のみわざを休まれたことに起因しています。聖書の第一ページ目の創世記1章にて、この神のリズムがこの世界に刻まれました。このリズムの中に生きることが、私たちの祝福なのです。

【2】 過越の祭り
 次にイスラエルの民が定期的に祝うよう命じられたのは、過越の祭りです(5)。これはエジプトから救い出されたことを記念するお祝いで、第一の月の14日に定められました。この月から一年が始まるのは、出エジプトの救いの体験が、それまでの古い歩みと決別した新しい時代の到来であることを示しています。
 過越祭の詳細については出エジプト記12章に詳しく記されていますが、イスラエルの民は以下のようにしてその日を過ごしました。①その日の夕方に傷のない羊を屠る、②血を家の鴨居に塗る、③火で焼いた肉を種なしパンと苦菜を添えて食べる、④しかも帯を締め、くつを履き、杖を手にもった状態で急いで食べる。このように彼らは出エジプトの経験を追体験し、その時に与えられた救いの恵みを味わったのです。
 あの日イスラエルは二つの大きな体験をしました。まずは屠られた羊をしっかりと食べること。これは私たちにとって、救い主イエス・キリストを信じて自分の中にしっかりと受け入れることを表しています。次に、神様が子羊の血のしるしのある家を過ぎ越されたこと。血のしるしのない家の初子は、すべて殺されてしまいました。これは、イエス・キリストを信じ受け入れた者の家庭を、神が救い出して下さったことを表しています。
 本来さばきを受けて、滅ばされるべきだった私たちが救われたのはどうしてだったのか。それは神様が子羊の血に目を留めて下さったからでした。つまり、私たちの行いが正しかったからではなく、ただ主イエス・キリストの十字架の犠牲があったからです。私たちはこの恵みを今、聖餐式の度に味わっています。
 
【3】 種なしパンの祭り/ 初穂の祭り
 過越祭の後、15日から一週間、種なしパンの祭りが続きました(6~8)。その間、イスラエルの民は種なしパンを食べるよう、神様より命じられました。種なしパンは、パンを内側から発酵させ腐らせるものとして、罪の象徴でした。救われた後に、種なしパンを食べ続けることを通して、救われた者として、罪のない清い生活が神の前に求められていることをイスラエルの民は学んだのです。
 さらに収穫の初穂の束を神に献げる初穂の祭りも祝われました(10~14)。この時期は丁度、大麦の収穫の時期と重なっており、イスラエルの民は収穫の感謝を神様に表すことが求められました。この例祭を通して民は与えられた恵みに感謝する生活へと導かれたのです。

【4】 結び
 このような例祭が定期的に祝われ、イスラエルの民の生活の中に、リズムとして刻まれていきました。救いの恵みをいつも心新たに思い出すことができるように、そして神の前に聖なる者として整えられ、主に対する感謝に満たされるよう、主によって導かれていたことがわかります。
 神様は、私たちがこのリズムの中で歩むことができるように導いて下さいます。安息日を大切にし、礼拝と聖餐式を通して主の恵みを味わい、感謝にあふれる歩みへと導かれていきましょう。

【祈り】人間の作り出すこの世のリズムから解放され、神の定められたリズムの中で、喜びと感謝をもって歩んでいけますように。