自分の父や母をののしる者     レビ記20章1~9節

2020年11月1日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【序】
 毎年11月の第一日曜日に子ども祝福式を行ってきました。今年はコロナの影響で中止にしましたが、変わらずに子どもたちの祝福をお祈りしたいと思います。子どもたちの祝福を祈ることは同時に、家庭の祝福を祈ることです。
 神様はアブラハムに、アブラハムだけでなく、アブラハムの子孫を祝福すると約束して下さいました。神様の祝福のご計画は、個人にとどまらず、家庭全体に及んでいきます。私たちの周りでは今、家庭崩壊が凄まじい規模と勢いで進行中です。親に愛されない子どもたち、親に反逆する子どもたちが増えています。教会から祝福が家庭に及んでいくよう、私たちは日々祈らなければなりません。

【1】 親の子どもに対する罪
 レビ記20章1節でイスラエルの民は「イスラエルの子ら、あるいはイスラエルに寄留している者のうちで、自分の子どもを取ってモレクに与える者は、だれであれ必ず殺されなければならない」と警告されました。モレクとは、カナンの地で信仰されていた異教の神で、礼拝の際には、自分の子どもを火の中を通して献げるという人身供養が伴っていました。しかも、5節を読むと、その礼拝の中で淫行という不道徳な儀式まで行われていたことがわかります。偶像礼拝と殺人と姦淫がセットになった恐ろしい罪が、宗教行事としてとり行われていたのです。
 その罪を犯す者は必ず殺されなければなりませんでした。人間にとっても恐ろしく感じられる罪ですが、何よりも神の前で深刻な罪であったことがわかります。
 このモレク礼拝が旧約聖書を読んでいると時々出てきます。イスラエル王国の王となったソロモン王も異教徒の妻をもった影響で、モレク礼拝を始めてしまいました(Ⅰ列王記11の7)。アハズ王やマナセ王などのイスラエルの歴代の王たちも、この礼拝を堂々と行いました。このように、神の民が異教習慣に影響されて聖さを失っていく姿が、聖書には記述されています。その結果、北イスラエル王国も南ユダ王国も神様によって滅ぼされてしまいました。
 現代にはモレク礼拝はもう存在しないかもしれません。しかし親の都合で胎児を殺してしまう妊娠中絶は、今日におけるモレク礼拝と呼べる行為だと思います。幼児虐待も同じ根をもつ問題です。それらの問題の土台になっているのは親が子どもを私物化してしまうという問題です。
 絶対的な神という神概念の乏しい日本においては、人命の尊さの基盤となる根拠が弱いように思います。子どもは親のものだし、つまり、人間のものであるために、子どものいのちや人権よりも、人間の都合がどうしても優先されてしまうのです。
 しかし神は人を神のかたちに造り、神の息を人に吹き込まれました。生まれる前から私たちは神のものです(詩篇22の10)。私たちは与えられた子どもたちをそのような尊い存在として関わり、育て、愛情を注いでいく必要があります。

【2】 子どもの親に対する罪
 9節には「だれでも自分の父や母をののしる者は、必ず殺されなければならない」と警告されています。子どもが親をののしることが、神様にとってはモレク礼拝と同じくらい深刻な罪であることに、私たちは驚かされます。この教えも聖書の中で繰り返し教えられていますが、その元になっているのは十戒の第五戒「あなたの父と母を敬え」です。
 ノアを侮ったハム、イサクを騙したヤコブ、ダビデに反逆したアブシャロム…。親を侮辱した子に下される神のさばきを、聖書は繰り返し教えています。私たちにとっての父と母は、最大級の尊敬が払われるべき存在であり、親をののしることは神の前に絶対に赦される行為ではないのです。
 なぜ親は尊敬されなければならないのか。それは親が神の代理者だからです。親の権威は神によって立てられたものであり、神の権威を表す存在です。私たちは親を尊敬することを通して、神を尊敬することができるのです。

【3】 家庭を祝福される神
 神様はアブラハムを祝福し、アブラハムの子孫を祝福し、さらにアブラハムを通してすべての民を祝福すると約束して下さいました(創世記12の2~3)。神様のご計画は教会を通してこの世に祝福を届けることです。そこに教会の存在意義があります。私たちは家庭崩壊に苦しむこの世のために、いつも祈らなければなりません。
 同時に私たちの家庭が聖書の価値観を土台として築かれていく必要があります。私たちの夫婦関係と親子関係が神様の前に整えられていかなければなりません。夫と妻が神様の御手によって一つとされること、そして親が子どもたちを神様のものとして愛し育てること、子どもたちが神様を恐れるようにして親を尊敬すること、つまり家庭に神がご臨在されているかどうかで、家庭の祝福は決まるのです。
 日本におけるクリスチャンホーム形成には大きな課題があると言われています。家庭の中に現世的な価値観がすぐに入り込んできてしまいます。みことばの力によって各家庭に祝福が及び、その祝福がこの地に及びますように、祈りつつ励まし合っていきましょう。