バプテスマを受けなさい     使徒の働き2章37~39節

2020年10月18日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 今日は喜びの日です。一人の失われた者が救い主によって見つけ出された日(ルカ19の10)、大きな喜びが天にある日(ルカ15の7、10)だからです。
 吉崎兄が聖園教会の礼拝に最初に出席したのは昨年の8月18日でした。その後、熱心な求道に導かれ、聖書の学びと兄弟姉妹の祈りの内に回心に導かれ、本日、バプテスマを受けることになりました。ここまでの主の導きに心より感謝します。
 聖霊降臨(ペンテコステ)の日に聖霊を受けたペテロの説教によって3,000人の人々が回心に導かれ、バプテスマを受けました。それによって最初の教会が誕生しました。その時の様子が使徒の働き2章に詳しく記されてあります。この記事より、今日はバプテスマを受ける人に与えられる三つの恵みを覚えたいと思います。

【1】 罪が赦されていることの恵み
 第一にバプテスマを受ける方には罪の赦しという恵みが与えられます。ペテロの説教を聞いた人々は心を刺されました。自分の罪に気づかされたのです。それまで問題に感じていなかった自分の生き方が神に対する反逆であり、その自分の罪がキリストを十字架につけたことをはっきりと知らされたのです。
そして、自分たちは滅びに向かっていることに気づかされました。そのために彼らの内から「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」という求めが生まれました。罪を本当に知った人の姿がここに表されています。私たちも自分の罪と直面することなく、クリスチャンになることはできません。罪を知ったからこそ、人は神を求め、救いを求めるのです。
 そんな人々の問いかけに対してペテロは答えました。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めなさい」。罪を示された一人ひとりはペテロの説教を通して悔い改めに導かれたのです。
 悔い改めとは、方向転換することです。それまで神様に背を向けていた私たちが、180度向きをかえて神様に立ち返ることです。その時に与えられるのは、私たちのすべての罪が赦されるという経験です。神に立ち返る者を神様は必ず赦して下さいます。私たちの過去の罪、現在犯している罪、これから犯すだろう未来の罪、そしてどんな深刻な罪もすべて赦されるとは、何という平安でしょう。
 このような恵みをいただいて私たちはクリスチャンとなりました。ところが、私たちは時々、この恵みが与えられているにも関わらず、罪の中にとどまり続けてしまうことがあるように思います。自分の愚かさ、足りなさ、未熟さを責め続け、せっかく与えられている赦しの恵みを拒んでしまうことがあるのではないでしょうか。私たちの神様は、私たちの悔い改めをいつでも待っておられます。

【2】 キリストのいのちに生かされる恵み
 次にパウロは「イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」と命じました。これはイエス・キリストを救い主として信じ受け入れなさい、そして、その信仰を告白しなさい、という命令です。
 罪の赦しの恵みは実際的にはキリストを通して与えられます。私たちの罪の身代わりとなって神の刑罰を受けて下さったキリストを信じる信仰によって、この恵みが与えられるのです。ですから私たちは悔い改めたならば、信じなければなりません。そしてその信仰をバプテスマというかたちで表すのです。
 バプテスマは受洗者が、イエス・キリストと共に死に、イエス・キリストと共によみがえった事実を象徴的に表しています。そのバプテスマは受洗者が生まれ変わり、イエス・キリストの復活のいのちに生かされる恵みを表しているのです。受洗に導かれた私たちも、キリストのいのちに生かされる者となりました。自分自身のために生きるという古い生き方から、神のために生きるという新しい生き方へと変えられたのです。

【3】 聖霊に導かれる恵み
 バプテスマを受けた結果として与えられるものは何でしょう。バプテスマを受けた私たちには、「もう一人の助け主」(ヨハネ14の16)と呼ばれる聖霊なる神様が伴って下さいます。この聖霊なる神様が私たちを導き、私たちに力を与え、私たちを内側から満たして下さいます。そして私たちの罪を示し、私たちを清め、私たちの生活と歩みの中に実を実らせて下さいます。さらに聖霊は私たちが確実に主のものであり、御国を受け継ぐことの保証です(エペソ1の14)。この聖霊がバプテスマを受けた人に、賜物として与えられるのです。
 私たちは聖霊がせっかく与えられたのに、その聖霊に導かれていないことも多いのではないでしょうか。聖書には「聖霊を悲しませてはいけません(エペソ4の30)」と教えられています。私たちの不信仰によって聖霊を悲しませてしまうことがあります。賜物として神様が下さった聖霊を悲しませることがないように、私たちは御霊の導きに従って歩んでいく者でありましょう。

【祈り】
 キリストと共に歩む者として赦しの恵みを豊かに味わうことができますように、キリストのために生き、また御霊に導かれて歩むことができますように、助け導いてください。