新しい契約           マルコの福音書14章17~26節

2021年1月24日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 裏切りの告知
 今日の記事は、最後の晩餐の場面です。それは、イエス様が捕らえられる直前の出来事でした。イエス様は自らの死を前にして、弟子たちとともに過ごすひと時を大切にされ、さらにその席上で大切なメッセージを残されました。ところがこの大切な食事の席に、イエスを裏切る者が在席していました。
 イエス様はその食事中に、「あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ります」と言われました。イエス様はその場にいたユダが自らを裏切って、祭司長たちに引き渡すことを知っていたのです。他の福音書を読むと、イエス様はその後のやり取りの中で、その裏切り者がユダであることを指摘していることがわかります。
 ただし、マルコはその事実を省略しています。むしろマルコはユダ以外の弟子たちの反応に注目しているようです。弟子たちはイエス様のことばを聞いて悲しくなり次々と言い始めました。「まさか私ではないでしょう。」 まさか私ではないと思うけれど、もしかすると私だろうか…。イエス様の一言に、弟子たち一人ひとりの心が探られていることがわかります。
 実は弟子たちの中にイエス様の本意が理解できない、という不安がありました。イエス様がその頃、自らの死をほのめかすことを言い始めていたからです。その席上でもイエス様は「人の子は…去っていきます」と語られました(21)。イエス様に去られてしまったら、弟子たちは困るのです。弟子たちはイエス様が、ユダヤをローマ帝国の支配から解放し、偉大なイスラエル王国を再興してくれる救い主として期待していたからです。だからこそイエス様についてきたのです。
 弟子たちが願っていることと、イエス様が願っていることは最初から食い違っていました。弟子たちはこの地上における成功と繁栄を求めていました。しかし、イエス様は死を越えて尚続く永遠のいのちと、永遠の世界に弟子たちを導こうとしておられました。結果的にイエスを裏切ったのはユダになってしまいましたが、実は他の弟子たちも皆、ユダのようになる可能性があったのです。
 イエス様と弟子たちに間に見られた食い違いは、その後もずっと続いているのではないでしょうか。私たちはイエス様に何を求めているのでしょうか。この世における成功と繁栄を求めているのでしょうか。イエス様が私たちに与えたいと願っているものを、私たちは本当に求めているでしょうか。
 
【2】 わたしのからだ
 イエス様のことが全く理解でない弟子たちでしたが、それでもイエス様は彼らとともに食事をし、大切なメッセージを語られました。イエス様はパンを取って神を賛美し、そのパンを裂いて弟子たちに与え、言われました。「取りなさい。これはわたしのからだです。」 パンがイエス様のからだである、とは一体どういうことなのか。このことばに弟子たちは驚いたことでしょう。
 かつてイエス様は弟子たちに語っていました。「わたしはいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません(ヨハネ6の35)。」 かつて神様はイスラエルの民を、天からのパンで養って下さいました。そのパンを食べて一時的には満たされますが、しかしすぐに渇いてしまいます。しかし、イエス様を信じる者は飢えることも渇くこともない。そのようにイエス様は語っておられました。

【3】 わたしの契約の血
 続けてイエス様はぶどう酒の杯を弟子たちに与えられて言われました。「これは、多くの人たちのために流される、わたしの契約の血です。」 それまでイスラエルでは罪が赦されるためには羊などの家畜が屠られ、血が流される必要がありました。神様はその血を見ることによって民の罪を赦すと約束して下さったのです。
 ところがイエス様はその杯が、「わたしの契約の血です」と語られました。その時の弟子たちには全く意味がわからなかったことでしょう。しかし、イエス様の十字架と復活を経験して、その意味が後でわかりました。
 イエス様は十字架につけられその肉体を裂いて下さいました。また、十字架上で血を流して下さいました。そのイエス・キリストをしっかりと受け入れ、信じることによってすべての罪が赦されました。それまでの古い契約を土台として、新しい契約をイエス様はここで結んで下ったのです。
 
【4】 結び
 イエス様が十字架上で流された血は、「多くの人のために流される」血でした。すべての人のために流されたのではありません。このイエス様を信じ受け入れた者だけに、この恵みが与えられるのです。私たちにとって大切なことはイエス様が語られた「取りなさい」ということば。私たちは信仰をもって、この方を取らなければなりません。信じ受け入れる必要があるのです。
 その時に私たちのすべての罪が赦されます。私たちはもはや飢えることも渇くこともありません。私たちに神の子どもとしての特権が与えられ、父なる神様がいつも私たちの必要を満たして下さるからです。イエス様が自らの死の直前に語って下さったメッセージを私たちもしっかりと受け止め、イエス・キリストを自らの救い主として信じてまいりましょう。