ナルドの香油       マルコの福音書14章1~11節

2021年1月10日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 3月の受難週と4月のイースターに向け、今日からしばらくの間、「十字架の道」と題して、イエス様がどんな思いで十字架に向かっていったのか、マルコの福音書の記事に注目していきたいと思います。「過越の祭り、すなわち種なしパンの祭りが二日後に迫っていた」(1)という一文から、今日の箇所が始まります。イエス・キリストの十字架刑がわずか二日後に迫っていることがわかります。
 祭司長・律法学者たちは、イエス様をだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していました。イエス様にとっては危険極まりない状況がエルサレムににおいて、備えられつつあったということがわかります。

【1】 マリア
 この日イエス様は、ベタニヤのシモンという人の家で食事をしておられました。その時、一人の女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持ってきて、その壺を割り、イエス様の頭に注ぎました。そのナルド油は300デナリ以上(1デナリは1日分の賃金)もする高価なものでした。しかも「壺を割った」とは、その高価な香油のすべてをイエス様に献げた、ということです。
 ヨハネの福音書12章の平行記事を読むとこの女性は、マルタの妹のマリアであることがわかります。これがマリアであるとするならば、そこには死んでしまった兄弟ラザロをイエス様がよみがえらせて下さったことに対する感謝が込められていたのではないでしょうか(ヨハネ11章)。いずれにせよこの行為はイエス様の愛に対するこの女性の心からの感謝のしるしでした。
 この女性の姿は、私たちに信仰について教えてくれます。信仰とは何でしょうか。それは私たちを愛して下さった神様に対する、私たちの心からの感謝です。イエス・キリストは私たちを命がけで愛して下さいました。私たちのために死んで下さいました。そのイエス様に心から応答すること、100%自らを主に献げること、それが信仰です。この女の人の姿を通して、私たちは自らの信仰を吟味したいと思います。

【2】 イスカリオテのユダ
 さて、この女性の行為は、そこにいた多くの人たちの心に驚きと戸惑いを引き起こしたことがわかります。何人かの者たちが憤慨して互いに言いました。「何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。この香油なら、300デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに」(4~5)。
 彼らの心に引き起こされたのは「何と無駄なことか!」という思いと「貧しい人たちに施しができたのに!」という思いでした。
 ヨハネの福音書の記事によると、そのように語った人物はイスカリオテのユダだったことがわかりますが、マルコの記事を読むと、そう思ったのはユダだけではなく何人かの者たちも同じ気持ちだったことがわかります。そんな人々がこの女性を厳しく責めました(5)。
 彼らは本当に貧しい人たちに対する施しを考えていたのでしょうか。実はそうではありませんでした。ヨハネ12の6に「彼(ユダ)がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった」と記されています。信仰的なことばと振る舞いの裏側に、恐ろしい不正と罪が隠されていました。しかも、ユダは自分の正しさを確信し、自分の抱えている自己矛盾に気づいていません。
 ここに信仰者が陥りやすい姿が示されています。それは信仰的な物言いと振る舞いによって自らの正しさを主張し、その一方で自分の醜い罪を隠してしまうという姿です。しかもその自己矛盾に気づきません。そして、自分の考え方が無視されたり否定されたりすると、その相手に対する怒りと憎しみが心の中に生まれてしまうのです。
 イエス様はその後、この女の人を高く評価し、結果的にユダの考えを退けました。その結果、ユダは何をしたのでしょうか。ユダはイエス様に対する悲しみと怒りに心を支配され、この出来事の直後に祭司長たちのところに行き、何とイエス様を金で売ってしまったのです。砕かれない魂は何と恐ろしい結果をもたらすことになるのでしょう。私たちの信仰は果たして、このユダのような状態になっていないでしょうか。

【3】 結び~私たちはどちらだろう
 イエス様はユダの考え方ではなく、女性の信仰を高く評価されました。その行為が自分の埋葬の備えになったと語られました。明らかにイエス様は自らの死と向き合っています。その苦しみが誰にも理解されない孤独の中にあって、この女性の愛の行為は、イエス様にとってどれくらい大きな喜びだったことでしょう。
 私たちの信仰は果たしてこの女性のような心からの主に対する愛の応答でしょうか。それとも、ユダのような自分の正しさの追求でしょうか。主は私たちの心からの応答を喜んで下さいます。主の愛に応えて100%、主に従っていく者としていただきましょう。

【祈り】
 あなたの大きな愛に心から応え、主に従っていくことができますように。